2012年12月2日日曜日

ホームクリーニング

プロによる自宅内の徹底清掃のことではなく、普段ならクリーニング店へ持ち込みそうな衣類を自宅で洗うという庶民派なそちらのほう。

洗ったものはダウンジャケット、着用シーズンに入ったばかりでもう洗ってしまうのは、霜が降りた数日前の早朝に仕事場の表の掃除の際に水で薄めた液体クレンザーをうっかりかけてしまったからだ。

2012年10月17日水曜日

錯視

面白いサイトを発見、そこの説明通りの見え方で画像が揺れる、静止画の筈なのに回転したり、うねって見えたりで面白い。

リンク先の「北岡明佳の錯視のページ」で紹介されている錯視はどれも大変良くできていて、そのページの下のほうには「本ホームページ内のページ一覧」として他の錯視が数多く紹介されています、興味があればスマホからではなく画面の大きなPCでどうぞ。

まずはいきなりトップページから驚かされる、なぜジワジワと回転しているように見えるのだろう、いろいろ調べてみてもピンとこない、人なら誰でも同じように見えるのだろうか?

他には、たとえば「視覚的補完の錯視」→「消失現象いろいろ」→「あさがお」は見て数秒後には他の黄色のドットがほとんど感知できなくなってしまった、別のポイントを見た時だけ周囲に一瞬見えるというのに。

ああ、やっぱり点は1つしか目で追えない、どうなっているのだ??

人の脳のせいなのか、目の構造?のせいなのか、こんなシンプルな図柄に不思議な錯覚を起こそうなどとは・・・。

今はもう無くなっているが、長崎のハウステンボスには「ミステリアスエッシャー」というアトラクションがあった、仕組みも解説されていて頭では理解しているのに何度通っても平衡感覚がおかしくなってよろめいてしまう通路があったのを思い出す。

人間ならではの錯覚なのだろうか、猫や犬ではどうだろう。

そんな人間の錯覚を気付き、画家の領域の作品へと転化してしまうマウリッツ・エッシャーをはじめとするいろんな方々の着眼点や観察力には本当に感服する、凡人では気が付かないし、仮に気が付いても詳しくは探求しないであろう。

そういう私も惑わされてばかりの凡人なのだ。

リンク先についての話に戻すと、ページの冒頭付近には「車酔いなどを起こしやすい方はご注意下さい」という注意書き、リンク先を御覧になる場合は一応ご注意を。

なお、そこでの各画像(データ)はフリー素材ではない、この点もご注意を。

2012年9月30日日曜日

無言の”こんにちは”

しっかりとした雨脚の日曜日、それでも地下を通れば濡れずにあちこち移動可能な天神へと正午前から地下鉄で出掛けた、目的は毎年秋の恒例イベントとなった「ミュージックシティ天神」、その2日目なのである。

あちこちでいろんな演目を楽しめるけれど、今日の私のお目当ては大丸福岡天神店のパサージュ広場、ここなら雨でも大丈夫で、しかもジャズの生演奏ばかりなのが楽しみ。

2012年9月4日火曜日

おくりびと

私はmixiも利用している。

一時期ほどの勢いはもうないけれど、それでも相当数の会員数を抱えるSNSともなるとまさにひとつの社会のようなもの、年代も社会や生活の環境も人さまざま、笑っている人もいれば泣いている人もいる。

多様な人が同時に存在していて個々と諸々が寄り集まってのひとつの社会。

さて、その中を歩いていると思いがけぬ人に辿り着いてしまうことがあるのだ、例えば同じハンドルの人であったり、趣味が同じであったり、昔親しかった人だったりと。

ですが時に今日のような残念な場合もある、既に他界されたかただったのだ。

トップ画像ではそれまでと同じように笑顔のままだというのに、友人からの紹介文や最後の日記には途中から惜別の言葉が並ぶのは何れの人も同じ、読み進むにつれ寂しく切なくなってくる、マイミクシィとして繋がりのあった人たちの中にはリアルでの付き合いを持っていたというのも少なくないはず。

仮に、突然の出来事にmixiの退会手続きなどとれぬ事態が我が身に起こったとすれば、もうこの世に残したものなど何も心配することなどできぬとは言え、個人的にはmixi上に引き止められたままのような状態ではなく、是非ともなるべく早く”私”を退会させて眠らせてくれぬものかと・・・。

ずっと繋がっていたいかたの気持ちはよく分かるが、私の場合ならきっと退会を願う。

mixiの退会は本人の手続きによるのがmixiの決まりなのでどうすることもできないけれど、もし私が急逝し、自分ではどうにもできなくなったら・・・他にも方法で私を葬って欲しいのだ。

それはマイミクシィさんが1人もいなくなった場合、ある一定の期間を経て自動的に退会となってしまうという仕組みを使うのである、それもまたmixiの決まりなのだ。

具体的にはマイミクシィとして繋がっている皆が私との繋がりを解除して欲しいのである、私のマイミクシィがゼロになれば、後日私はmixiを退会となり眠ることができる。

こんな寂しいことを書いてしまったのはトップ画像の笑みと亡くなられた現実の落差に背を押されてのこと、暗い投稿で申し訳ない。

2012年8月15日水曜日

隙間から秋

悪天候でもなく、搭乗予定の便はほぼ定刻通りの午前11時過ぎに札幌から遊びに来ていた友人を乗せて飛んで行った、毎度思う事ながら休日が過ぎ去ることのなんと早いことか、それが楽しければなお早い。

土産として買って行ったのは昔からある素朴な味のおかし「にわかせんぺい」、一緒に博多区吉塚の本社工場の直売所へ行って買ったものだ、同じ品は博多駅や福岡空港にもあるというのに、本社工場のそこで買いたいと言うのだ、わかる気もする。

文末以下に東雲堂のリンク先を貼ってある、辿った先にはCMギャラリーがあって、それこそ40年ほど前から続くCMもダウンロードで視聴可能となっているのでご興味があればどうぞ、できればロングバージョンである右端のを、ただし、サイズが20MByte弱あるのでご注意を。

それともうひとつの土産・・・というよりは自分用に買った品で「博多鋏」、職人技による手作りの品であることに強い魅力を感じたそうだ、素朴で飾り気のなさが良いと言っていた、とにかく面白い人だ。

このお盆期間中、例年になく福岡の街は人が多かったような気がする、特に博多駅とその周辺。

その喧騒も今日で収まる、もう少しだけ休日が続く人もいるけれど、明日から通常の生活に戻るという人は多い。

その友人もそう、僕もそう。

まだほんの子供だった頃はこの頃になると急に朝晩の気温が下がって、時に最低気温が20度を割り込むことすらあった福岡、そして博多も。

今は季節がズレたかのように暑さは長く続くけれど、注意してみると秋の気配は其処此処に見えている。

草勢著しい葛の穂に花が咲き始め、実家の日当たりの悪い側で巣を張っては壊しを繰り返していたオニグモが軒の下に卵嚢を産み付け、冬の星座までもが夜明け前の暗いうちから高くなっている。

素焼きの器の底から水が滲み出てくるような感じで、秋は些細な隙間から忍び寄る。

とはいえ昼間の暑さはまだまだ続くのだけれど。

残暑お見舞い申し上げます、体調崩されませんように。>皆様


リンク:「東雲堂 にわかせんぺい本舗」

リンク:「アクロス福岡 文化・観光情報『博多鋏』」

2012年7月24日火曜日

片手にも宇宙の欠片

小中学生は夏休みに入ってまだ間もない、街の中は大人と一緒よりも子供同士のグループで歩く姿がよく目に付いた日だった、それぞれが街へ繰り出し平日仕事のサラリーマンに混じって通りの雰囲気を若くする。

今日の午後の散歩は赤坂から舞鶴界隈をぐるりと楽しんだ、通りかかったのは福岡市少年科学文化会館の前、大人に引率された子供たちや、数人のグループ、中には1人でといった構成で施設周辺は騒がしいほど賑やかだった。

夏休みの子供たちにはぴったりな場所である、近くて、安くて、涼しくて、勉強にもなるし。

そのすぐ近くに30代半ばか後半あたりの父親らしき男性がスマホを弄りながら小学生(高学年)に見える女の子との2人でそこにいた、「プラネタリウム? 星なんか知らなくても大丈夫」、たぶんプラネタリウムを見たがっているのであろう女の子を諦めさせようとでもしているかのような言葉、そう言われて女の子は黙ったままだった。

男性はなおも手にしたスマホで何かをしていた。

結局それからどうなったのだろう、見せてあげると一緒に中に入ったのか、やっぱり諦めさせたのか、歩きながら聞こえたその一言、立ち止まることなく散歩から仕事場に戻る途中だったのでその後はどうなったのかは分からない。

もし、あのまま諦めさせたのであればとても残念なことだと思う、あのくらいの子供の脳は握りしめたスポンジを水の中で緩めるかの如く様々なことを貪欲に吸収する、だからこそ興味のある分野の知識をたくさん詰め込んで伸ばしてあげなくてはならない年頃なのだと思う。

確かに星のことは知らずとも普通に大人になって働いて一生を終えることはできるだろうけれど、知っていればそういった科学の分野を目指す原動力になり得るかもしれない、更には活躍して凄い人になれるかもしれないではないか。

あの男性が手にしていたスマホ、そのスマホの中の半導体に使われている金などの重い金属は、超新星や極超新星の爆発時に生成され宇宙にばら撒かれたものなのだ、人の想像力を超えた大爆発が宇宙で起こり、その時のとてつもない力で生まれた物質なのだ。

ほら、その男性も宇宙や星と無関係ではない、影響と恩恵を受けているのである。

2012年7月11日水曜日

鉄砲町

傘を畳んでしまえば突然の篠突く雨、極端な降り方を繰り返す雨の中、晴れていれば西の低い空はまだぼんやりと明るそうな時刻に飲みに出かけた。

友人と天神で待ち合わせをし、そこから今泉と接する大名の薄暗い飲み屋へ。

なるべく濡れぬようにと建物の中を通って警固公園を横切り、ビックカメラの脇を抜けたあたりで友人が立ち止まって後ろを振り返る、歩き始めてもう一度振り返る、気になるものでもあるのかと訊けば何か聞こえたような気がすると言う。

ほどなく目的の店に到着、席に着いて乾杯をするものの先ほどの何かが気になるらしく、胸騒ぎを覚えたのか部屋で留守番中の同居人(恋人)に電話を入れてました。

同居人は頭痛が酷いらしく薬を探している最中だったとか。

「○○君の薬、2つちょうだいね」と言われて焦ったのはその友人、以前、ピルケースから鎮痛剤を取り出し1回分=2錠を同居人に渡したことがあるけれど、今はそのピルケースの中には1日1錠の血圧の薬が約10日分入っているだけ、うっかり飲めば大変なことになるところ。

電話の後は落ち着いたようで2時間ほどを一緒に飲んで別れた。

ふと、実家近所のおばさんから聞いた体験談をぼんやりと思い出す、今のような賑やかな街ではなかった頃の大名の話である。

それは仕事帰りの暗い冬の夕方に、街灯の暗い側に沿って向かいから小柄な男が何度も会釈をしながら近付いてくるのだという、暗い側で、離れた街灯を背にしているので容姿は人影のようで判らないけれど、男であることははっきり判ったのだとか。

その男との距離がいよいよ狭くなったころ、交差する通りの街灯に照らされる辺りで暗い中に縮まって消えるように見えなくなったことに驚くと同時に、なんとも言えぬ胸騒ぎを覚え、なぜだか脳梗塞で倒れて入院中の父親のことが心配になり急いで病院に行ったという。

病室に入ると父親は驚いたような顔でこちらを見ていて、何事なのだと訊いてきたけれど、不思議な体験の話はせず、ちょっと仕事帰りに寄ってみたのだと答えたらしい。

しばらく話をした後で喉が渇いたからお茶をくれと父親が言うので、らく飲みで冷ました番茶を飲ませれば眠そうに目を閉じ・・・そのまま亡くなってしまったそうです。

一度だけ大きく溜息をついて。

あまりに呆気なく、穏やかで、危篤の気配すらなかったので家族の誰かが看取れたのは奇跡的なことだったとか。

その話をしてくれた人は「鉄砲町には幽霊がいる」と言っていた、不思議な体験談である。

それにしても何故「大名」ではなく、古い町名の「鉄砲町」なのだろう、そのあたりの事について訊いておけばよかったなと今更ながらそう思う。

そう、大名は鉄砲町、薬院町や薬研町、小姓町、馬場小鳥(ばばこがらす)、因幡町といった今はもう存在しない町に囲まれた夜が早い町だったのだ。

2012年6月14日木曜日

宛先エラー

今日は晴れてはいたが荷物が多かったので仕事場への行き帰りは車にした。

仕事中は窓から駐車場に停めてある自分の車が見えていて、そして午後の休憩時間は散歩の前にその横を通っていたくせに仕事帰りはうっかり徒歩で帰りそうになってしまった、晴れた日のいつもの癖なのか。

ハッと車で来ていたことを思い出し、歩き始めてほんの1分ほどの所で引き返して駐車場へ戻り、我が車に乗って混雑する大通りは避け、急がば回れで裏通りをしばらく走る。

2012年4月24日火曜日

強靭なアイビー

先の大震災以来世の中省エネ推進運動継続中である、電気になるべく頼らず真夏の猛暑を少しでも涼しくする方法として日当たりの良い壁側や窓側にアサガオやキュウリを植えるという話が町内会で出たそうだ(私は仕事で参加できなかった)、ゴーヤを植えるというのもあるらしい。

他には観賞用のカボチャ(そんなものがあるのか)やヘチマとか。

知人宅での過去の失敗例の話も出て、その時は園芸店で買ってきた「アイビー」というよく知られた観葉植物を鉢から抜いて壁際に植えたそうで、ものの2週間ほどで伸びに伸びて屋根まで届き、あとは放っておくだけで面積がどんどん拡大、冬の寒さもなんのその、春にはまた勢いよく伸びて壁一面が緑の葉に覆われたという。

なんという旺盛な繁殖力、勝てるのは葛ぐらいしかないのではなかろうか(!)。

最初のうちはそれを喜んでいたのですが、ますます茂って鬱陶しくなり、いざ取り去ろうとしたら・・・大変なことに壁の一部が剥がれてしまったらしい。

レンガ造りの洋館だったらレンガの色合いにはアイビーの緑がよく映えて似合うだろうし壁の強度についても問題ないだろうけれど、木造だったりモルタル造りの日本の住宅には全く向きそうもない。

それに、日差しは遮られて涼しくはなったけれど、蔓を伝って虫やトカゲが部屋に入って来るので怖かったという。

その失敗例のお宅は千代町にあるそうで、いまはすっかり取り除いてはいるものの、よーく見れば・・・蔓の跡が筋状に残っていてたぶんもう消えないとか。

植えるならアサガオ程度が無難だろう、もっと覆って欲しいのであれば琉球アサガオなんかも良い、秋にだって花を咲かせるしよく茂る、収穫の楽しみが欲しければキュウリかゴーヤか?

剥がす時に壁が痛まないような造りであればいろいろと楽しめるとは思う。

そうそう、夏の省エネについて町内会の出席者で「昼間のクーラーを止めたいならイオンに行って寝る」と冗談を言った人がいたらしい。

いい案だ、可笑しくて笑った。

2012年4月2日月曜日

賢い鳥

今朝は実家から直接仕事場へ向かった、もうこのくらいの時期ともなれば日の出の時刻も早い、それより更に10分近く早くに家を出たとしても既に明るい東の空、薄明の下では歩道のブロック敷きの継ぎ目も容易く数えられるほどである。

那珂川を渡って天神に入り、須崎公園を横切る途中でいよいよ夜が明けた、そこでカラスが1羽ベンチの下から何かを引っ張り出しているのを目撃。

ごみだろうか、そうだ、あれはごみ、2つか3つおにぎりを入れて惣菜売り場に並んでいる華奢なプラスチックの容器だった。

私が少し近寄ったところで警戒したのかカラスは一旦動きを止めてこちらを凝視、でもすぐにまたごみを突き始めた。

容器の中には少しだけ何かが残っていて、それを食べようとしているのだが輪ゴムがかけてあるのでうまく取り出せずにいる様子、嘴で輪ゴムを引っ張れば容器もほんの一瞬遅れてゴムに引かれて自分のほうへ付いて来る、何度やってもその繰り返しで輪ゴムは外れない。

カラスは一旦諦めてあたりを窺っている、今度はすぐ傍の植え込みの段差のあたりへ容器を引っ張り、ぴょんと反対側に回って段差を壁にみたてて容器をピタリと押し付けた。

・・・と、カラスは段差の上にひょいと乗り、そこから輪ゴムを引っ張り始めたのだった、輪ゴムを引っ張っても本体のプラスチック容器は段差にせき止められて動かない、輪ゴムだけが自分のほうへと移動するのだ、結局1回目の挑戦で輪ゴムは容易く外れてしまい、容器は自然と貝のように開いたのである。

どこからかその様子を見ていた別のカラスが中身を横盗りしに舞い降りて来たので元のカラスは慌てて戦利品を銜えて飛んで行った。

実に賢い鳥だと思う、うちの近所の猫が囮役のカラスに気を取られているうちに餌を持って行かれてしまったり、上空から小石を落とされていじめられるのも仕方ないのかもという気がしてきた。

今朝のその一部始終を目の当たりにし、人間としてあの鳥に負けぬように頭も使わねば・・・と思った次第である。

2012年3月31日土曜日

三分咲き


なんだか急に花の数を増した桜、福岡では街の川沿いだろうが郊外の公園だろうがどこも桜の花が目立ってきた、隣り合っていてもは早めだ遅めだと開花にムラがあるので一概には言えぬが、それでも総じて三分咲を越えたかといったところ。

当初予定していた週末の花見会は1日ズレて日曜となったものの、却って満開と重なりそうな気がしないでもない、・・・気がかりなのは天気、降水確率40%というのがなんとも微妙。

夏の30%は平気だが冬や春先のはどうだろう。

昼間が随分と暖かく、日差しのある場所では上着を羽織った背中がやや暑い、そういえば体格の良い早足な人が半袖で歩いているのを午後に見付けた。

今日はやや強めに吹く乾いた風で干した洗濯物が面白いほど早く乾く。

そろそろハエやハチが活動を始め、実家にはアダンソン君(ハエトリグモ)の姿も戻って来る頃。

明日の予想最高気温は19度らしい、今日より更に上がって初夏に届きそう、日差しのある場所ではやはり暑かろう。

着るものは薄手のもので充分だと思う、着るものが軽くなると気分まで軽くなる、出かけるのが一層楽しい。

能古島の話を聞いた、桜のあとにはツツジがきれいらしい、弁当を使ってお昼を過ごす人も多いのだとか、だが注意、知っている人もたくさんいるのだが鳶が弁当を狙うのだという。

急降下してきた鳶に弁当を荒らされれば子供あたりは間違いなく怖がるだろう、なにしろ危ないではないか。

狙われやすい見晴らしの良い広い場所などは特に注意、屋根の下などでは狙われにくいという、そう、確かにそれだと上空から急降下で弁当の中身を盗みにくかろう。

それともうひとつ、草むらに敷物を敷いてのんびりするのは気持ちが良い、だがマダニに注意。

敷物はあってもマダニが寄ってきて噛まれるというのも充分あり得る話、実際、これくらいの陽気になるとちょっとした草の生えた場所などを網でさらうとマダニが捕まるものなのだ。

野山の散歩などの後、帰宅後はイボのようなものがどこかに付いていないか確認するべし、見つけたら無理に引っ張らず皮膚科へ。>皆様

2012年3月10日土曜日

錆釘

昨年の8月某日、夜に出掛けた自宅近所に自転車を停めていた数時間の内に、何者かに虫ゴムを外されてタイヤの空気を抜かれるというイタズラをされたことがある。

徒歩で帰宅するにはゆっくりの速度で20分弱、ズルズルと音をたてる後輪を時折持ち上げながら帰った夜だった。

私はその出来事を4人の友人に話したのだった、Aは「今度はもっと別なとこに停めなきゃ」と言い、Bは「そんなこともあるよ」と言った、Cは「どうしてそんなことするのかね」と顔をしかめ、Dは「俺もやられたことある」とその時のことを話してくれた。

それら4人は、私がそこへ出掛けた際に自転車をどこに停めるのかを知っている。

そして今日の昼過ぎ、所用で出掛けた県庁近くで1時間ほどの空き時間にラテを飲みながら一緒に過ごした友人と、お互いの親兄弟のことでしんみりとした話が過ぎようかとしたあたりで、向かい側に座る友人が唐突に「去年あの自転車の空気抜いたのは俺」と、明かすのでした。

それまでの話の流れとはまるで関係なしに。

告白したのは「友人B」なのである、「目が点になる」という使い古された言い回しがあるけれど、その時がまさにそう。

「ごめん」と謝り、続けて「俺ね」と理由を述べ始めようとしたので「もういいから」と遮った、今まで言い出しにくかった事を、やっとの思いで告白した相手の気持ちを気遣ったから・・・などではない。

今更知ってもという考えがあった上に、理由を知れば何か思い悩みそうな気がして、聞かぬほうが良いのだという咄嗟の判断から。

実はそんな行為に及んだ友人Bの、その時点の心情について推するところがあったりもする、だから、余計に聞かぬほうが良い、何故今思い切って明かしたのかは解らない。

それまでと変わりなくあの8月以降も誘い誘われ食事や飲みに行動を共にしていた友人B、いつも通りに笑って話してはいたけれど、内心バカなことをしたものだと時々はチクチクと痛い思いをしていたのではなかろうか、そんな仕業を知ったこちらも同じ程には痛いのだけれど。

些細な傷のくせに沁みるように何日も痛かった錆釘での傷みたく。

まだ存分に若かったある日、立秋を過ぎてもなお暑かった日の浜辺を音楽を聴きながら歩いていて木目のきれいな板切れを拾い上げたことがある、が、裏に釘が出ていて人差し指の側面を傷付けてしまった、真新しく表面が平滑な釘ではなく、潮に晒された赤錆色のそれで。

友人Bの告白とてその傷のようにすぐに滲んで褪せてしまうのだけれど、しばらくは痕だけが微かに残りそうで、見える内はその度に何か思いそうなのが少しばかり複雑ではある。