2015年6月23日火曜日

合鍵交換

もう30年の付き合いとなる1歳年上の友人と夕食を食べに行った、チェーン店ではない個人経営のとんかつ屋、ご飯のおかわりは自由ではないが、学生相手の店なので普通盛りでもかなりの量、最初から「大盛りで」と言いさえすれば料金変わらずどんぶり飯で出てくるので腹八分目の健康ルールなど吹き飛んでしまう。

ブログで宣伝してもいいかと訊けば今は一人でやってる上にそう遠くない時期に店を畳むかもしれないらしいので宣伝は却下、店を畳んでしまうのか・・・店主も高齢となり七十路も見えてきた、そろそろ潮時だと思っているのかもしれない。

とんかつも食べ終わって熱いお茶で一服、店を出て薄暗くなりかけた道を歩きながら事前に申し合わせていたとおりに並んで歩く友人と合鍵を交換した。

なぜ合鍵など交換するのだと思う人もいるだろう、思い立ったのは最近というわけではなく数年前からだった、私も友人も一人暮らしで、今は特に用が無くともほとんど毎日メッセージをやりとりをしているが、もしそれが途絶えた上に電話をしても連絡がとれず2日経ったら合鍵で相手の部屋に入って安否を確かめようという申し合わせなのである。

私も友人もゲイで妻や子はいない、家族とは別に暮らしているので普段はひとりきりだ。

私の親しい人がここ数年で何人か亡くなっている、毎年誰かが亡くなっている、4年前には下関の1歳年上の友人、3年前には宮崎の9歳年下の友人、2年前には市内の1歳年上の友人(2014年5月13日のブログ)、昨年は横浜の4歳年上の知人、どの人も歳は近い、市内の友人と横浜の知人は部屋で亡くなって数日経ってから発見されたのだった。

持病などないけれど、だからと言って何も起きないとは限らない、いつ何が起きるかわからない、ある日突然車にぶつかったり、脳溢血や心臓発作で息絶えてしまうことだって有り得るのだ、私もそういう年代なのである。

もしもの時はなんとしても早く見つけて欲しい、部屋で赤鬼や青鬼に化けて変わり果てた姿になるなど嫌なのだ、死んでしまえば何を困ることも悩むことも無くなるけれど、そんな姿になるのだけは嫌である。

そんな状況でも心に余裕があれば押入れの中のエロ雑誌なども片付けるようにしよう、パソコンも初期化しよう、坊主など呼ばずに直葬で済ませ、遺骨は砕いて海にでも散骨するようにしよう、もし家族がそれに反対しても必ず一度は本人の希望であることを伝え説得しようというのが友人との申し合わせでもある。

誰しもいつかは必ず死ぬ時が来る、どういう迎え方をするかはまだわからないけれど、合鍵交換は不測の事態の保険のようなものだと思っている、また、この考えに賛同し合鍵を交換できる友人が居てくれるのは本当に幸せなことだとも思っている。

若い頃は自分の死についてなど微塵も考えたことはなかったのに、今はそろそろ先が見えてきたかのように意識し始めている、歳を重ねるというのはそういうことでもあるのだ。