2017年8月7日月曜日

夏休みは墓参り

当初計画していた10日間よりは短くなったが今年は今日から7日間の夏休みである、予定は特にない、思い切って遠くへ行くよりも近場でのんびりと過ごすことにした。

そんな夏休み期間中に友人らの墓参りをしようと思うのだが今年も昨年と同じく12日にJRとバスを乗り継いで山口県と筑豊を回る(2016年8月10日のブログ)、予報は晴れ、山口県のほうは海沿いなので問題ないだろうが筑豊は暑いだろうなと思う。

筑豊では相手側のご家族と鉢合わせしそうな気がしないでもない、ゲイであることを嫌がられて来るなとは言われているが別に悪いことをするわけでもなく、もしもの時は何を言われても「はいはい」で済ませて帰って来ようとは思っている。

その点、山口県のほうは大喜びで歓迎してくれるで楽なものである、ゆっくりしてねと家に呼ばれたりもする、故人である同い年の友人がまだ成人する前にカミングアウトを果たし、長い年月をかけて身内の理解を得るに至った努力の賜物なのだと思う、私と同じく父親に知られた時は相当な拒絶反応だったらしいが。

宮崎県にも友人の墓がある、一昨年はお盆ではないにしろ墓参りに行ったのだが(2015年9月7日のブログ)、そこも筑豊のご家族同様ゲイであることを変質者扱いされるほど嫌がられていて、なんと、墓を別の場所に移されてしまいお参りしようにも場所が分からないので行けないでいる、私だけではなく同じ宮崎県内のゲイ仲間も墓がどこにあるのかを知らない始末、ああ、ご家族によってこんなにも違いがあるとは・・・。

私の身内では父と母、そして姉(長女)の墓がすぐ近くの寺にあるのでもちろん行く、こうやって見るとお盆は墓参りだけで2日間が必要だ、暑いし遠かったりもするけれど、行くのと行かないのでは心の穏やかさがまるで違うのだ、行かないと友人が寂しくて待っているような気になってくるのが不思議である、亡くなってしまえば水蒸気と煙と灰になるだけだとは思ってはいるものの、やはり頭のどこかに友人たちはまだ生きていて、何を言うわけでもなく、ただ退屈そうに座って静かにじっとどこかを眺めているような、そんな気がしてくるのだ。

なので行く、極端な悪天候ならば延期はするけれど、緩い下り坂で潮の香り漂う山口県と、曲がり角でどこかがギシギシと軋むバスに乗って筑豊の辺鄙な場所にある寺へ行くことにする。

今のところは晴れの予報となっている、予想では猛暑日か、わはは。