2017年10月31日火曜日

残っているうちが花

仕事帰りの天神で雑貨店の文具売り場へ無地の白和紙を買いに寄った、仕事でちょっとしたことに使うのだがそれほどのサイズや枚数は必要ない、ちょうど使用目的に合うものが見つかったので数枚を買った。

その同じフロアの別のレジでは小さな台車に何の商品かは分からぬが手で持ち運ぶには大きくて邪魔そうな箱と、その上にはきれいに包装された同じ型の小さな箱がまとめて置かれていた、購入したのは白髪の男性と若い女性の2人で荷物を整える女性店員をすぐ後ろで見ていた。

その女性店員が台車をエレベーターのほうへ向きを変えた時に小さな箱が滑ってばらけてしまい、そのうち幾つかが床に落ちてしまった、「あらら」と中腰で拾い大きな箱の上で再び纏める後ろでは白髪の男性が腰のあたりをジッと見ているのだった、傍から見ても「ああ、尻を見ているのだな」と分かるその視線に隣の若い女性が控えめな声で「じいちゃん!」と軽く腕を叩いて注意した。

「じいちゃん」か、若い女性はお孫さんなのだろうか、70歳前後に見えるその注意された白髪の男性はハッとした感じで苦笑いしていた。

いやいや、幾つになっても健康ならば女性店員の尻だって気になるというもの、いくら歳を取って精力は衰えても性欲はそう変わらないのだ。

そういう私もきっと若い頃と比べればそういうスタミナは落ちているのだろうけれど、性欲に押されたスケベ心は相変わらずである、街で好みの男がいれば凝視はまずいだろうから一瞬の視線スキャン(2017年6月25日のブログ)で頭に焼き付けてしまう、昼も夜もそればかりが脳内を占めているわけではないが、咄嗟の時でさえ思考はそういったベクトルへ傾くことはままあること。

逆に、これがどんな好みであるはずの男を目の前にしてもなんとも思わなくなるほど性欲が失せてしまえば残りの人生はなんと味気ないものになってしまうものか、想像しただけで退屈してしまう。

私は食欲のように性欲も残っているうちが花だと思っている、どちらも失せてしまえば真の老いに満たされた老人となってしまうのだと思っているのだ。

いつかは誰にでもそういった時は訪れるものだが、充分に元気で現役でいられるうちは充分に楽しんでおきたいなと思う。

ところがその一方で、現代においては30代のうちに早くも性機能が衰えてしまう人がいるのだという、もちろん性欲も淡白になってしまうのだとか、精神的なものか器質的なものかは分からぬが。

何かとややこしく面倒な世の中である、仕事や対人関係などのストレスのせいもあるのだろうか、もしそうだとしたらそういったものと縁の無い私は幸運だなと思う。

エロは大事ですぞ。>皆様